新しい画板を買ってもらう方法 〜平成元年 春〜
子供たちの世界ってけっこう残酷だったりしませんか。
人と違うところを見つけるのが上手くて、それが大好物な子っていますよね。
俺はとにかく「スケッチ大会」が大嫌いだった。
画才がないのは問題じゃない。
今でも愛犬の絵を描けば、「壁画じゃねぇか!!」と皆を感心させるが、そっちは問題じゃない。それは長所だ。
持ち物が周囲とハッキリと違ったんだ。
当時、日本はバブル期。
いいものを持つこと。子供にいいものを持たせること。
幸福の象徴として、今の日本の物質主義がより偏った形で存在していた。
絶対的貧困ではなく相対的貧困が生まれていた。
”その日” の日程が学校で発表されてからというもの、授業中も下校中も頭の中で呟いた。
「どうやってあの新しい真っ白の画板を買ってもらうかが大問題だ」
”その日” の苦悩は朝の通学路から始まる。
特に低学年の子らのいかにも『面白いものを見つけたっ』という表情。
視界に入るが、俺は気づかないふりをして下を向いて遣り過す。
別に新品が欲しいわけでは無い。ひとりだけ明らかに違うのが辛いんだ。
「絶対無理だ。買ってくれるはずが無い。去年も駄目だった。」
「いや、諦めきれない。あの状況は最悪だ。絶対に今年こそはみんなと同じ、いやみんなより新しい真っ白な画板で行くんだ!!」
父は7人兄弟の7番目でその末っ子が俺だ。
家は貧しかったし従兄弟が22人もいるもんだから、おさがりがスゴい。
何十年ものが廻ってくる。
俺の画板はぼろぼろのベニア板に首から下げる用に2カ所に紐が結ばれていて、周囲の至る所からササクレが出ている。さらに角は割れたり削れたりで丸くなりベニアの中の層が露出していた。
ひと昔前までは、こんなにぼろぼろでは無くともまだまだベニア板の画板も多かったらしいが、学校の皆が揃いも揃って買い替えるもんだから、この数年でバブルは見事に俺を取り残して行った。
家に帰るなり押入れから例の厭わしきブツを引っ張り出し、溜息をついた。
しかし床に置いた画板を眺める俺の目に飛びこんできたものは、なんと、一筋の光。
奇跡の予感だった。
紐が切れかけているっ!! (本当はまだまだ全然使えるのだが・・・)
罪悪感はあったが、「切ろう!」という勢いには到底敵わない。
力任せに引き千切ろうとしたが、切れない。
結局はハサミで紐を切った俺は抱けるだけの期待を抱き、父の帰りを待った。
「ただいま」
飛んでいきたいが堪える。喜んでるみたいじゃないか。時を待つんだ。
父の晩酌が始まり、やがて夕食が始まる。
「おとーさん、今度スケッチ大会あるけど、、画板の紐が切れてた。」
悲しそうな表情が必要だが、笑顔が爆発しそうで下を向く。
父は機嫌よく画板を取り上げ、アッサリとその切れた紐を結んだ。
その年、俺ははガッチガチに短くなった紐に窮屈そうに身体をとおし登校した。