黒い自転車 〜昭和59年 夏〜
今週のお題「わたしと乗り物」
幼年時代、俺にとって外の世界はとても物騒だった記憶がある。
『かい人21面相』が世間を騒がせ、我が家だけでなく、おそらく日本中でおやつ禁止令がでていた筈だ。それに加え、うちの近所では『放火魔』による連続放火事件がおこっていた。うちの三軒隣の車庫にも火がつけられた。家の横に併設された車庫の隅から隅まで全て埋め尽くした炎はセダンと原付を黒い影にして、行き場を探すかのように轟々とこちら側へと吹き出していた。消防車はまだ到着しておらず、燃え盛る炎を囲んだ野次馬が半円状に広がり、照らされた人々の顔はオレンジ色に染まっていた。俺が見上げていたあの顔の中に犯人はいたのだろうか。
ただ、俺も近所の子供たちもテレビのニュースや母が近所のおばさん達と道端で会えば口にする『かい人21面相』や『放火魔』と仮面ライダーやウルトラマンに出てくる『怪人』や『怪獣』との区別は一切ついておらず、怖がるどころか寧ろ身近にいるかもしれない事が好奇心をいっそう駆り立て興奮した。
その頃、俺は自転車の練習に夢中で、近所の友達の中にはもう自転車で遊びまわっているのもいた。皆に少し遅れて俺もようやく乗れるようになった頃、近所の友達の家に自転車で集合しよう!ということになった。家に帰るなり父にそのことを話すと、「そうか、じゃあ自転車ばかっこよおするぞ」とスプレー缶を持ち出した。
父は7人兄弟の末っ子で、俺はその末っ子。 いとこ総勢23人中23番目。 まわってくるお下がりが尋常じゃない。衣類もオモチャも自転車も教材ももはや別の時代の物だった。だが、いとこの兄ちゃんや姉ちゃんが家に遊びにくると目についた新しいものから父はプレゼントして持ち帰らせた。「全然使いよらんけんよかよか」と言って、姉が誕生日にもらったものも俺が父の会社の偉い人から貰った釣竿も半年も持たず家からは無くなっていった。そんな調子でウチには新しい物があった記憶がなく、ちゃんと映るテレビが我が家にきたのも俺が成人してからだった。
スプレー缶を持ち出した父は、元は黄色だったはずの、錆びだらけで塗装ブカブカの自転車に目がけ、真っ黒の塗料を噴射した。
父はサビ取りさえしなかった。今思えばだが。
そうなると当然、あっという間に見事に黒1色の所々ボコボコになった新車が完成した。俺はそれでも茶色のサビが消えたことが嬉しくて、父と子は惚れ惚れしてその日を終えた。
翌日、俺は『真っ黒の愛車』にまたがり颯爽と風を切った。 4人ほど先についているようだ。「ヤッホー!!」 ご機嫌な俺とは裏腹にみんなは眉尻を下げ心配そうな顔をしていた。
「自転車どげんしたと?」
「・・・ん?・・?・・」
「自転車・・・燃えたと⁉︎」
衝撃だった。
頭は真っ白になり、自分で分かるほど顔は真っ赤になり、またがった自転車はやはり真っ黒だった。車庫から吹き出す炎や燃えるセダンと原付、オレンジ色に染まった野次馬達が脳裏をよぎった。
俺は『丸焦げの自転車』をかっ飛ばし逃げだした。
「どうしたー?もう帰ってきたとねー?」
帰りついた俺の額の汗を母が指で拭う。父は庭先にいた。俺は父を傷つけまいと嘘をついた。
「だれもおらんやったー」
父と母の柔らかな眼差しの中、心の中で黒の自転車に謝った。
あのときの父と母の笑顔が何故だか俺は忘れられない。